2025年11月6日 木曜日の記録
幸せな家族 そしてその頃はやった唄 が全然おもしろくなかったので
※ネタバレします。何が面白いの?という感想からの…

あ、これ、帯だった。


「幸せな家族 そしてその頃はやった唄」を購入したのは2025年の夏だった記憶。
夏といえばホラー。わが子たちホラー大好きなんです。
本屋さんで凄い推していたのでこのホラー本を購入しました。
すぐに読書好きの長女がサラーっと読んで「読みやすいし面白いよ」とのこと。
わたしは冒頭数ページ読んで、あー家族がどんどん死んでいく話か。とわかった時点で興味が他に移り「辻村深月」ブームが来てしまった。
辻村深月を8冊続けて読み終わったところで頭の片隅にあったこの本、せっかく真新しい新品で買った本だし、読んでしまおう!ということで読み始めました。
読み終わって、全然面白くなかったと思いました。
「ゾクゾク十万部突破!」
「トラウマ児童文学No.1」
「これは、たぶん一生忘れられない一冊です。」
「ラスト一行の衝撃」
「怖いけど、止まらない!伝説のトラウマ児童文学」
ハードル上がり過ぎてた?
なぜこの本を出版社や本屋が推していた?推していた人達は、ちゃんと読んだんか?気になった。そもそも、児童文学って何?と思って調べてみると、
”児童文学とは、主に子ども(0歳から10代)を主な読者対象として書かれた文学作品のことです。”
これが?!作者はなぜ、10代の子を対象にこの本を書いたんだ?
本自体が伏線で、このことがむしろミステリーでホラーだ。
本のストーリーを引っ張っていく唄が現実に存在する。
本の為の唄ではなく、唄に衝撃を受けて、唄を題材に本を書いたとのこと。
唄の内容は、たいくつだから殺しを覚えて、殺して、自分も死ぬ。
少なからずどの本を読んでいても「何か伝えたいこと」があってそれを小説にする。善悪プラスマイナスな要素でも。それを探して、「ああそういう事が言いたかったのか」と納得して読み終えることがほとんど。
国語の授業でもあるでしょう。「作者はこの物語を通して何を一番伝えたかったのでしょうか?」という問題。
しかし辻村深月の凍りのくじら、ちょうど一つ前に読んでいた本に、本当に面白い本っていうのは、本に流れる哲学やメッセージ性がなくともただ「面白い」「主人公がかっこいい」そんなことでいい。と。
そうか、そういう単純な楽しみ方も当然ありだな!と思っていた矢先。
「幸せな家族 そしてその頃はやった唄」には、それもない。
何とか強引にでも、一つでもいいからこの本ができた理由が欲しい。
児童文学のあるべき姿をぶっ壊しにきた作品。
人との絆は、親子、兄弟、恋人、友情、仕事、などか。人によってどこの絆がより深いかは当然変わるだろうが”子ども”の場合、「親子関係」と「兄弟関係」の絆は強力な人が多いとし、その二つをぶっ壊す話を書くことで、子どもに自由な表現を与えようとする。というか作者自身が自由になろうとしている?
こんな家族や友人をサクっと殺す内容を児童文学というジャンルで書く自分。表現の幅を広げるよ。
児童文学仲間から見たら、そんな発想なかった、というかダメだと思っていた。今でもいいのかわからない。そんな風に思う人がいたのだろうか。
だとしてもこの作品に行きつくだろうか。
誰か教えて。
また、この話を小学生の頃に読んで衝撃が忘れられず、再販のタイミングで買った!というレビューを数件見つけましたし、レビュー全体で見ればわたしの様に「全然おもしろくない」という意見の方が少数派。
うちの次女ちゃん小5は、純粋なので読んだらこのレビュー人のように★5の評価を付けそう。
でも、読むべきなのだろうか…。本当にわからない。
わたしがひねくれるのだな。

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